2011年11月16日水曜日

幸せの国 ブータン

先日ここでも書いたブータンの国王夫妻が新婚旅行に日本を訪れていらっしゃいます。経済成長よりも国民の幸せを何よりも重視したこの国の国王夫妻。 お二人のご訪問は今の日本に爽やかな幸福感を運んでくださったような気がします。

ブータンの子供たちが夢を語った動画を見つけました。
公用語は英語なのですね!

2011年10月30日日曜日

チェルノブイリ ハート

映画「チェルノブイリ ハート」を観てきました。
チェルノブイリの原発事故から25年経った今でも、汚染地域で産まれている新生児のなんと85%が何らかの異常を持って産まれているという事実を追ったドキュメンタリー映画です。
85%の数字に聞き間違いかと思いましたが、ようするに正常な状態で産まれる子供が15%しかいないという驚くべき事実を映画は語っていました。

本当に驚きました。
チェルノブイリの事故はまだ終わっていないのですね。25年経った今でも悲劇は続いているのですね。
チェルノブイリの放射線の子供への影響は甲状腺への影響が一番重大なものだと思っていたけれど、とんでもなかった・・・
もっともっと悲惨な子供が沢山産まれ続けているのですね。

汚染地域では心臓の壁に穴が開いた子供も沢山産まれているのだそうです。「チェルノブイリ ハート」とはそういう病症のことだそうです。

チェルノブイリと同じ最悪のレベル7となった福島の原発事故。この映画が福島の未来の姿だとはとても思いたくないし、けっしてそうなってはいけないと思うけれど・・・・
見えない放射能、確たる導きの無い現実にとまどうばかりです。

チェルノブイリの事故処理にあたって、奇跡的に生き残ったある女性が日本に向けて助言を発しています。

掲載元
Run away as quickly as possible. Don't wait. Save yourself and don't rely on the government because the government lies. They don't want you to know the truth because the nuclear industry is so powerful.
出来るだけ早く逃げなさい。自分の身は自分で守りなさい。
政府を頼っちゃだめです。なぜなら政府はウソをつくから。
彼らはあなた達に真実を知って欲しくないのです。
原発産業というものはそれほど強烈な権力を持っているのです。
 
「ただちに健康に影響するものではありません。」
 
事故当初から枝野官房長官が国民に言い続けていたこの言葉・・・
あれは何だったのだろうか と 今になれば思ってしまいます。

チェルノブイリの教訓は生かされるのでしょうか。
「政府を頼るな」
というこの言葉がズッシリと重く感じます。

2011年10月14日金曜日

インターネットと幸福度


現ブータン国王夫妻
国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)とは 1972年にブータンの前の国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度なのだそうです。国民総生産(Gross National Product, GNP)で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものなのだそうです(ウィキペディアより)。 そして今、ブータンはこの国民総幸福量の増加を国の政策目標としているのだそうです。
国の方針を決めるとき、どっちが国民が幸せな気持ちになれるかということを一番大事にして決めていくということなのですね。ステキ!!
そしてブータンはこの夢のような政策を着々と実行してきたのでした。
2007年の国勢調査の「あなたは幸せですか?」という問いになんと9割の国民が「はい」と答えたというではありませんか!感激。。。。

ところが、その素晴らしい政策に邪魔をし始めたのがインターネットの普及だそうで、世界中の情報を得た若者が物質的豊かさを求め始めたというのです。便利な都会に若者が集まり、失業者が増え、幸せじゃない人が増えてきたそうです。

日本ではこのところ携帯各社が競走してスマートフォンの新製品を次々に売り出しています。以前の携帯以上に若者のネット依存度が増すことでしょう。以前は繋がっていなかった見えない糸が全世界に繋がって、ここに居ながらにして心は遠くへ飛んでいる若者がこれからもっと街中に溢れるのでしょうね。
遠くに飛んでいる心は「豊かな心、幸せな心」とは違ったなんだか空虚なつかみ所のないフワフワしたものに思えてしまいます。

もしかして、どんどんおかしな方向に進んでいるような・・・
目に見えない放射能と同じで、ジワジワと心が蝕まれているんじゃないかなぁ・・・

っと 最近思ったのでした。


2011年10月2日日曜日

小出裕章という人

福島第一原子力発電所の水素爆発をテレビで見たとき、私は底知れない恐怖を感じました。もしかして日本という国の終わりの時が来るのかもしれない、そう思ったのです。
しかしその恐怖心を和らげるわけでもなく、NHKの解説員や原子力安全保安員、それに政府の報道はまるで冷静さを装うような感情のない表情で上っ面の空虚な現実とも何とも分からないような事を伝えるだけでした。真実はテレビや紙面は教えてくれないと思い様々な本やネットの情報を探しました。

その過程で、原発の危険性を何年も前からずっと訴え続けている人の存在を知りました。京都大学原子炉実験所助教の小出裕章という人です。

様々な専門家の話の中でもこの小出さんのお話には一片の曇りもなく、事故後ずっと私たちに真実と可能な限りの対処法を伝える努力をし続けていらっしゃいます。

その小出さんの温かいお人柄が伝わってくる動画を見ることが出来ました。
人として大切なものを思い出させていただけたような気がして、涙が出てしまいました。

動画はインタビュアーの一人、岩井俊二さんのHPより
http://iwaiff.com/201110/jp/friends/friends_after_311_movie_koide.html

2011年10月1日土曜日

バベル

3.11、特に原発の事故を境に日本という国の印象が変わってしまったように思う。 日本という国はそれまで、何事にも繊細で緻密な考えをもって、浮かれず、うろたえず、賢く、国民一人一人の人権を重んじ行動出来る国だと思っていた。そしてあの戦争をも乗り越えた勤勉で真面目で誠実なこの国民性を持ってすれば、今回の未曾有の大地震、大津波の被害さえもきっと乗り越えらるに違いないと信じていた。

ところが、あの原発事故が大きく行く手を阻んでしまった。

戦争や地震や津波は規模の大小はあってもこれまでも日本の歴史に刻まれてきた既知の出来事だが、こと原発事故に関しては違っていた。日本人、いや人類が初めて経験した3基の現役の原子炉が一度に壊れてメルトダウンし放射能をまき散らすというまさしく未曾有の事故なのだ。
その初めて直面した大きな大きな試練が、いとも簡単に日本の指揮官達のセンサーを狂わせてしまった。

皮肉なことに戦後日本に次々と造られた54基もの原子炉は、まさに戦後の日本の経済的復興のシンボル的存在だったのではないだろうか。
まるで戦後の経済成長の大きな波に乗って限りない経済の天空を目指して積み上げたバベルの塔のように。。。

結局バベルの塔と同じように原子炉は崩れてしまった。

見つめるべきは天空ではなく足もとの現実だ。
重んじるべきは塔ではなくそこに住む人々だ。

現実から目をそらしてはならないのだ。
もっと真実を知らなければ、伝えなければ、慎重にならなければ、
このままでは夢も希望も復興も、もしかしたら日本という国も消えてしまう。

2011年9月25日日曜日

恋の歌でも聴こうじゃないか

ため息だけが 静寂に消えていった 帰り道
遠い空 ゆれている 街並

すべてに君の やさしい微笑みが 離れない
手を伸ばしても 届かない場所にいる

もっと君のこと知りたいよ
悲しみも ささやきも 全部見てみたい

苦しいよ 今度はいつ逢える

遅すぎた出会い 胸に噛みしめている 痛いほど
気付いたら 夜は終わりはじめてる

うまく君の名を呼べないよ
せつなくて むなしくて つぶされそうさ

わかるかい 僕はここにいる

たまにはこんな歌もいいよね
「僕はここにいる」 by 山崎まさよし

こんな歌が聴きたくなるのは やっぱり秋が来たってことかな~


2011年8月11日木曜日

あぁ青春のアフリカン・シンフォニー


  毎年感動のドラマを産む甲子園の熱戦ですが、そのドラマを盛り上げるバックミュージックとなっているのはブラスバンドの応援演奏ですね。中でも聞くだけで甲子園の情景が浮かんでくるのはなんと言ってもこれ!智弁和歌山の応援で有名になった『アフリカン シンフォニー』ではないでしょうか。
ああ・・・聞いているだけで青春の夏の太陽が降り注ぐ===

アフリカン シンフォニー 佐渡裕さん指揮で 

ちなみにわたしの中の夏の甲子園名勝負の一押しは、2000年の決勝戦 智弁和歌山vs東海大浦安です。
浦安の背番号4番の小さなピッチャー浜名翔君の小さな身体からみなぎる闘志が忘れられません。その時智弁サイドから聞こえていたこのアフリカンシンフォニーがとても威圧的に聞こえたのを覚えています。
青春だな====!




2011年7月27日水曜日

RERFのするべき事


長崎市山里小学校「あの子らの碑」

正しく知って正しく恐れる・・・・それが何より大切と言うことはわかっているけれど、いったい何が正しいのかそこがわからないから困った物です。

福島第一原発の事故で放射能が拡散していることは紛れもない事実です。でも、放射能そのものの影響の度合いがよくわかりません。放射能が人体に与える害についての臨床的データのうち、私たちが知ることが出来るものが果たしてすべてのデータなのかどうかもわかりません。核実験を何度も繰り返してきた国々ではきっと人体への影響も実験データとして集めているでしょうが、それを公にするはずもありません。核分裂の当初の使用目的が殺戮兵器であることが真実を覆い隠す厚いベールとなってしまっています。

原子爆弾を落とされた日本では、昭和21年に米軍がその人体への影響を調べるための機関を広島に設置しました。治療機関でなく調査機関であるABCC(Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会)というその機関は翌年には長崎にも置かれ被爆者は放射線影響のデータ収集として利用されたのでした。その後昭和50年に運営を日本政府が引き継ぎ、放射線影響研究所(RERF)として今でも調査は継続して行われています。

先日福島県の県民健康管理調査検討委員会が、福島の原発事故当時に0~18歳だった福島県全域の約36万人に対し、生涯にわたって甲状腺検査をすることを発表しました。子供達の健康に影響するような被曝が示唆されるこの発表には胸がズキンと痛みました。今後おそらく、3番目の放射線影響研究所が福島にも置かれることでしょう。

もうすぐ66回目の原爆祈念日がやってきます。
「過ちは繰り返しません」 と誓い続けた66年目にこんな事が起こるなんて・・・

何のための66年のデータ収集だったのでしょう。少なくとも米軍から日本が引き継いで行った後のデータ収集は今後の放射線被害を広げないために役立てられなければ・・・
日本政府が福島に真っ先に置くべき機関は被曝後の調査検討委員会ではなく、子供達を被曝から守るために力を尽くす機関であるべきだと思うのですが・・・

2011年7月20日水曜日

原発特攻隊

開聞岳
女子サッカーのワールドカップドイツ大会で日本が優勝するという素晴らしい出来事がありました。サッカー好きの私は準決勝、決勝と朝の3時過ぎから起き出してその嬉しい瞬間を共有することができました。男子にまったくひけを取らない素晴らしい試合展開で、本当に見応えのある試合でした。
今までの私だったらこんな出来事の後しばらくは浮かれ気分で周囲の人とサッカー談議に花を咲かせていたのですが、今回はやはりいつもと違った感じです。

今、ツイッターで福島第一原発の事故現場で働いている人二人の男性のツイートを追っています。正式な発表とは違った生の声を読んでいると、私たちが決して忘れてはいけない別の世界がそこに今現実にあることを痛感させられます。そのうちの一人、ツイッターではTSと名乗る人が「自分は特攻隊のつもりでいます。」とつぶやいてらっしゃいました。
確かに原発の事故現場は戦場そのものなのでしょう。そしてメルトダウンした核燃料の間近で、高い放射線を浴びながら、被曝の恐怖と戦いながら、身を投げて毎日現場に通って作業をしている彼らはまさにこの国を守るために特攻機で米軍艦隊に突っ込んで行った特攻隊の若者と並ぶ勇者なのかもしれません。

大和撫子は華やかに花を咲かせましたが、見えない場所では日本男児が汗を流してこの国を守ろうとしています。

TSさんがこの歌を聴くと思いが重なって泣けてくるとおっしゃっています。
長渕剛の「close your eyes」 
原発事故の作業現場を思い浮かべながら聴いてみてください。

どうか作業員の方の健康が損なわれることが無いように 祈ってやみません。

2011年6月21日火曜日

あ====雨 ばっかり=======

こんな時はのりのりの音楽に限るのだ!!

ザ・ナック なのだ=====!!

マイ シャローナ なのだ=====!!

2011年6月12日日曜日

自然は誰のもの?


玄海原子力発電所(波戸岬より望む)
今日、ニコニコ動画で自然エネルギーについての会議の生放送をしていました。場所は総理官邸。発言者はソフトバンクの孫さん、サッカー日本代表元監督の岡田さん、環境ジャーナリストの枝廣さん、ap bank代表小林さん、内閣官房参与の田坂さん、内閣官房副長官の福山さん、それに菅総理でした。これからの日本の自然エネルギー転換への可能性について具体的に意見を交換していました。こういう時期にこういった前を向いた夢のある話し合いを私たちに見える形でやってくれるのはとても有り難いです。久しぶりに明るい気持ちになりました。

その中で岡田さんが心に残るお話をされていたので忘れないうちに書き留めようと思います。岡田さんは倉本 聰さんが塾長の「富良野自然塾」のインストラクターをされていて、そこに掲げられているネイティブアメリカンに伝わる言葉を紹介されていました。
それは「自然はまだ見ぬ子孫から借りているものだ」という言葉で、自然という物は先祖からもらい受けたものではなくて子孫から借りているものだ。借りているものなのだから大切に汚さないまま返さなくてはならないのだ・・・という意味の言葉でした。

そう言えば昔の日本では伐採した林の後には必ず後の世代のために植林をしていましたね。
「後の世代のために・・・」と言うことを、私たちはいつからおろそかにするようになってしまったのでしょうね。後の世代のためどころか、使用済み核燃料なんて後世にゴミ処理をまかせてしまっていますもの。膨らんでいる国の借金もそうですよね。いつからそういう子孫に恥じるような事がまかり通るようになってしまったのか・・・

私自身もそうかもしれない・・・
今の自分の事でせいいっぱいで余裕がない。
そうです!昔よりも豊かなのに余裕がないのです!

どうしてなんだろう

もしかしたら、人間の心の余裕って大自然からいただけるものなのかもしれないと思うこのごろです。山に登ったり、海を見たり、星空を見上げたり、そうするととてもゆったりした気持ちになる自分が居ます。

やはり大切な自然を大きく壊してしまう可能性のある事は、ぜったいにしてはいけなかったのかもしれません。

2011年6月5日日曜日

わー 知らなかったー


九州北部 本日梅雨入りだそうです。一週間前に東海地方が梅雨入りしたニュースは見ていたので九州はとっくに全域が梅雨入りしたものとばかり思っていました^^;
以前はそうだったですよね!先ずは九州全域が梅雨入りしてから、それから梅雨前線が北上するのがふつーでしたよねー。最近梅雨前線も素直じゃないなー。
きょうは朝から雨が降っていて長崎も梅雨入りっというニュースを見たとたん午後から青空が広がり始めました。

梅雨前線 やっぱり素直じゃないなー

2011年6月4日土曜日

眠れない夜の独り言

夜中の3時過ぎに目が覚めてしまってそれから眠れません。 今am4:23。 まだ夜が明けていないのに外ではイソヒヨドリがさえずり始めました。綺麗な声でさえずるんですよねイソヒヨドリ!家の近くにこんな綺麗な鳴き声の鳥が居て得をした気分です。私のプロフィールに使っている写真もイソヒヨドリなんですよ^^

ネットのニュースで、数時間前にいわき市で震度五弱の地震があったと報じています。原発事故も併走して震災はまだまだ続いています。ところが肝心要の国会が情けない状態で、この非常事態にとんだ茶番劇を繰り広げています。こんな姿を見ると、本当に人間的に優秀な人は国会議員になんかならないんだなぁ とつくづく思ってしまいます。
私の周囲にも政治に力を持つ人との繋がりで、うまく生きようとしている人が沢山います。って言うか、政治の仕組みって結局そういうものなんですよね。自分の生活に有利に動いてくれる人を選挙で選ぶわけですから。国民の自我の代表が集まった場所が国会なんですよね。こんなに多種多様に自己主張出来る時代の人々の多種多様な自我の代表なんだから、まとまるはずもありません。
自由民主主義の終末期なんじゃないかな・・・
ここにももう一つジャパンシンドロームが見えてきたような気がします。

震災後、国民は変わろうとしているのにね・・・

2011年6月2日木曜日

一日一回よろこぶべし

どーも最近心が枯れてきているような気がします。涙もろくはなっているんですけどね。テレビの震災関係のニュースや心温まるお話に触れるとすぐに涙してしまいます。でも、心が豊かになっているのとは違う気がするんですよね。心の波動は弱くなっている、そんな気がするんです。きっと今の私、表情ものぺーっとしているのでしょうね。このまま歳をとって行くのか と思うとそんなの寂しいーー
ちょっとした更年期鬱なんですかね?
昔読んだ五木寛之さんの本「生きるヒント」に、暗愁にみちた人生をはげますものは日々のよろこびに他ならないと書いてありました。だからよろこび上手になろう!というものでした。一日一回、どんなことがあってもよろこんで、それをノートに書き留める。要するによろこぶ練習をするという訳です。
今の私も練習の必要があるのかもしれません。

きょうの小さなよろこび・・・
友達から二粒もらったゼリー菓子『彩果の宝石』が美味しくてうれしかった。

2011年5月25日水曜日

とりあえず・・・

サイト側のトラブルか、ここのブログにログイン出来ない状態が続いていました。日頃は更新をさぼっているのに、そんな時に限って急に書きたくなったりするんですよね。
げんきんな物です(笑)
で、今ようやくログイン出来たので書いています が 何を書きたかったのか忘れちゃった(笑)

とりあえず更新です^^

2011年5月11日水曜日

天皇の祈り


ずいぶん前に何かの本で 天皇の日常を占める最大の行為は「国民のための祈り」だと読んだことがある。
「国が平和でありますように」 「国民が安らかに過ごせますように」 と祈る神事が、天皇のもっとも重要なお務めだと言う。

今回の東日本大震災の被災地を訪問された天皇・皇后両陛下が、お二人並んで被災地のがれきの山に向かい頭を垂れて祈ってらっしゃる姿が見られた。
そのお姿の向こうには大勢の尊い命が失われた大地と海が広がっている。
お二人の祈りは間違いなくその御霊に捧げられている。

このお姿を見て、どれだけの被災者が心を救われたことだろう。

政治的立場でなく、主義主張もなく、ただ 私たちのために心から祈ってくれる存在・・・
国民の痛みを共有し、同じ気持ちでいたわり、ねぎらい、励ましてくれる清く優しい存在。
私たち日本国民のために、こういう存在がある事は本当に幸せな事だと思う。

日本国の象徴である天皇と皇后の両陛下。
私は このような象徴を持つ我が国を誇らしく思います。

2011年5月10日火曜日

最近思ったこと・・・


ご近所のおばあちゃんが久しぶりに散歩されていた。
おぼつかない足取りで、ブロック塀を手がかりにしながら
二ヶ月前から空き家になっているお隣の庭を覗いてらした。

「荒れてきたわねぇ・・・」

っと 草が生え始めた庭を気に掛けているご様子だ。

おばあちゃんの家の玄関から隣の庭が見える場所まではほんの数メートル。
だけど地面のちょっとした凸凹にもつまづきそうな足取りだ。

私が近寄って話しかけると
おばあちゃんの方から私の腕に手を通して来た。
そのまま腕を組んでおばあちゃんの玄関までゆっくりゆっくりおともした。

「いくつになられました?」

っと 私が耳元で聞くと

「95らしいのよ」

と こっそりと教えてくれた。

「わぁ あと5年で大台ですね!!」

っと 私が言うと

「自分が100になるなんて思うと ぞっとするわ (笑)」

っと答えて 首をすぼめた。

自分が100歳になる・・・
まだ頭のしっかりしたおばあちゃんにとって
それは驚くべき事実なのだろう。

関東大震災に遭い、満州に渡り、命がけで帰還されたと以前話してくださった。
おばあちゃんの心の中はその当時とちっとも変わっていないのかもしれない。

年齢だけが どんどん勝手に増えていき 気がついたら自分が100歳になろうとしている。
あらまぁ ビックリ!
そんな感じなのかもしれないな。

きっと私も これから節目の歳を迎える度に
自分の年齢に驚くのだろうな。

2011年5月8日日曜日

とりあえずの更新


最近 ちーとも更新出来ていませんね。
なんだかいろんな事がありすぎて、頭の中がまとまっていない感じです。
脳みその保有力が落ちちゃったのかな?
一つの出来事が終わると反芻(はんすう)することなく次の出来事に脳みそが行っちゃう感じです。

あれ?もしかして逆なのかな?
日々の思いを『書く』ってことこそ反芻することかな?
書かなくなったから脳みその保有力が落ちちゃったのかな?

きっとそうだ・・・
絞り出してでも書かなきゃだ・・・・

あしたから がんばる!

2011年4月5日火曜日

今 すべきこと

こんな時は どんな風にして毎日を過ごせばいいのだろう
ちっぽけな一粒のわたし 何も出来ないわたし 
遠く 東から 苦しみの連鎖が伝わってくる

今 西のわたしがすべきことは
これまでと同じわたしを これまで以上精一杯に生きること

自分を大切にして そして人を大切にして
自分に関わるすべての物事に 感謝の気持ちを持って

そして 生き生きと 与えられた命を生きる

そして一粒の生命力が、100粒1000粒にふくらんで
大きな生きる力となって西から東に連鎖する

そして 日本は大丈夫だから安心せよと
東の人に伝えなければ

おびえるのはもうやめよう
わたしたちが笑顔を発信しなくてどうするのだ

さあ頑張ろう 笑顔の連鎖を

2011年3月30日水曜日


咲けよ 咲け サクラよ 咲けよ

枝いっぱいに 気高く咲けよ

流された 何千何万の尊い命を

その花びらに 託して咲けよ

今年の桜は弔い桜

桃色の曼荼羅を 日本中に敷いて咲け

2011年3月25日金曜日

復興へ




被災地の壊滅した町を前にしてぼう然とたたずむ人の写真を見て、戦後の長崎の丁度同じような情景の写真を思い出しました。今回の震災の壊滅した町の様子はまさに空爆やあるいは原子爆弾で焼け野原になった町の様子と一緒です。被災地の人々の様子を見ても、きっと戦後の日本もこういう状態から復興してきたのだろうと想像してしまいます。

私は今長崎に住んでいるので実際に原爆の被災を経験された方が身近にいらっしゃいますが、辛い辛い体験をあえて聞くことはできません。被爆者の方にとって65年経った今でも思い出すにはあまりにもむごい情景なのです。そんな中一昨年の原爆祈念日に、原爆投下当時に爆心地の山里小学校で先生をされていた方からお話を聞く機会がありました。山里小学校では当時の在籍児童1581人のうち約1300人が原爆で死亡しました。当日出勤していた職員も32名中、校長を含む28名も亡くなられています。生存した生徒を学校に集め授業を再開したのが原爆投下から丁度3ヶ月目の11月9日だったそうです。そしてその年に運動会も開催したのだそうです。着る物も無く、ボロをまとって元気に走る子供達の姿が鮮明に思い出されると話してくださいました。そして原爆投下からわずか二年後には長崎の祭り「おくんち」も開かれ、人々は志気を振り起こし復興して行ったのです。

思えば日本は火山列島の上にある国です。太古の昔から様々な大災害にみまわれて来たはずです。日本人のねばり強さ、謙虚さ、被災時の冷静さは きっとそのような境遇を乗り越えて来たからこそ身に付いた恩恵なのかもしれません。

日本はきっと大丈夫!
みんな日本を愛してますから。

さぁ 元気を出さなくては!

2011年3月20日日曜日

支援物資空輸開始

久しぶりの本格的な雨です。庭に咲き始めたアネモネが強い雨に打たれていたので切り取って花瓶に挿しました。
自然というのは脅威でもあり慰みでもあり、やはり人間には決して征服できない尊大な相手なのですね。自然の猛威に打ちのめされたあと、きっと小さな野の花に慰められたりするのですね。人間の小ささを痛感させられますが、それでもやはり自然に生きる蟻たちのように少しずつ地道に回復していく力を持っているのも人間だと思います。
今日よりも明日、明日よりもあさって・・・・少しずつ少しずつ良くなればきっと笑顔になれる瞬間もあるはずですよね。

長崎県と市でも支援物資を集める動きが始まりました。募集される物資は決まっていて、お米、水、介護用レトルト食品、毛布、粉ミルク、大人用子供用紙おむつ、生理用品となっています。
我が家もさっそくお米20キロと介護用紙おむつと尿取りパットを購入してお届けしてきました。
何かしたいけれど何をして良いかわからない日々だったので、ようやく一つ動くことが出来て嬉しかったです。
雨の中大勢の職員さんに迎えられて、ほんの少しの支援物資で恥ずかしかったのですが・・・お陰様で第一歩を踏み出せました。

原発の現場で奮闘されている名も知られてない人々や被災者でありながら避難所のお世話に奮闘されている人々、本当に皆さん命を賭けて動いてらっしゃいます。一人一人の小さな力が沢山集まればきっと大きな力になって前進できると確信しています。

思いやりや協力する気持ち、リーダーになって引っ張る力とそれに従って動く力、知恵を振り絞る人とそれを実践できる人、それは全部人間がもともと持っている自然の力だと思います。便利さ豊かさの中で忘れていた人間としての力を今こそ発揮して一歩ずつ良い方向にむかって欲しいと思います。

2011年3月19日土曜日

被災地に鳴り響くサイレンの音

あの大きな地震から一週間経った金曜日の14時46分、被災地にサイレンが鳴り響き、津波で家族を失った被災者の人々がサイレンに合わせて海に向かって頭を垂れていらっしゃる様子がテレビで写し出されていました。
そのご様子を見ていると、まるでサイレンの音が夢から現実に引き戻す無情の響きのように聞こえて、見ている私もとても辛かった。

被災者の皆さんはこの一週間を、きっと夢の中の世界のような感覚で過ごされたのではないでしょうか。それが一週間経ち、同じ時間に鳴り響いたこのサイレンで初めて現実の出来事として感じてしまったのではないでしょうか。

きょうのサイレンの音は今のこの環境の中の被災者の人々にはあまりにも辛い響きだったように思えて仕方ありません。

被災者同士の支え合いはもう限界でしょう。健康で力強く寄り添う支えが急務の時期に入って来たと痛感します。


2011年3月17日木曜日

七日目の寒い夜・・・


あれだけの大震災が起こって一週間が経ちました。被害のあまりの広域さ、甚大さに、現代の日本の力をしてもまったく手が着いていないと言えるほどの状態が継続して胸が痛みます。被災地では今夜も零下の夜を迎えています。

今の私には祈ることしか出来ません。罹災された方が早く暖かい環境に落ち着けますように。早く充分な食料と物資が届きますように。そして放射能の汚染がこれ以上広がりませんように。

狭い日本のはずなのに、長崎は青空の下満開の白木蓮が風に揺れています。被災地にもどうか早く春が来てほしい・・・

2011年1月20日木曜日

お試し期間



職場の若い女の子が私に相談があると言う。こりゃ職場の人間関係かと思いきや、長年付き合ってきた彼氏が親元から出てひとり暮らしを始めるらしい。それで、彼女も親元を出て彼氏と一緒に暮らそうと思う・・・と言うのだ。で、そのことを母親に告げたらなんとなく反対の口調だったそうだ。
ここからは会話形式で・・・・

わたし 「ねぇ 一緒に暮らすのに結婚はしないの?」

彼女  「ハイ^^一年ぐらい一緒に住んでみて、結婚はそれから考えようかな~って^^」

わたし 「え~!^^; 試しに一緒に住んでみるってこと~?」

彼女  「だって結婚してから旨くいかないってわかって離婚したらバツが付くじゃないですかぁ^^」

わたし 「そりゃ 一緒に暮らしてみないと見えないことっていっぱいあるけれどぉ。。。。」

古い脳みその私は彼女のお母さんの気持ちがとてもよく理解できます。でも よく考えてみたら彼女の考え方のほうがお利口さんな生き方なのかもしれません。婚前旅行なんて普通になっている昨今です、傷物なんて概念は今の女の子には無いのかもしれませんね。それより目に見える戸籍の上のバツ×のほうが気になる・・・のか。

年配の人にこのことを話してみると昔の日本にはこれと似た風習があったというのだ。「足入れ婚」と言って実際に結婚する前にお試し期間をおいていたそうなのですよっ!

歴史は回るってことでしょうかねぇ・・・
私の脳みそも更新しなくっちゃ・・・・

2011年1月14日金曜日

失敗したもん勝ち!

今回のNHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」を毎回楽しみに見ています。人情あり、根性あり、愛情ありで、笑えて泣けてとても面白いですね。ヒロインの「あかり」ちゃんを囲んだ大勢の平凡な人々がそれぞれみんな個性豊かに描かれていて、出演者のそれぞれが主役になるようなストーリーが次々と味わい深く展開されて行くのです。さだまさしさんの歌の歌詞の「わたしの~人生の中では~わたしが主人公だと~♪」のフレーズのごとき脚本構成なんですね。

物語の中で川中美雪さん演じる「小夜子さん」が言った台詞「失敗したもん勝ち」。これもいいですね~ 「負けたもん勝ち」っていう言葉は昔からありましたが、「失敗したもん勝ち」のほうがドンピシャ実用的な表現です。 やってみて失敗したほうが何もしないで終わるよりいいやん ってことですもんね。これ、使えますね~。私みたいに早とちりで失敗ばかりしてる者にも救いになる言葉になりそうです(^^ゞポリポリ 

いや~ホントに救われるドラマです。救われたい人見てみてくださいね。

2011年1月11日火曜日

ジャパン シンドロームって。。。

ガーデンテラス長崎より
ジャパン シンドロームとはアメリカのレスターブラウン(アースポリシー研究所所長)が言い始めた言葉だそうで、かいつまんで言えば、工業化が進み生産性を高めるため人口が都市集中型となり、その結果農村の人口が減り高齢化社会が進み、穀物の自給自足率が減っていくことのようです。
今の日本はそれに伴って戦後の団塊の世代が60歳を超え始め、かつ子供の出生率も減少という原因も加わって日本の人口は2005年辺りから自然減少していて、人口が戦争や飢餓などの理由ではなく、自然に減少している国は今のところ日本だけなのだそうです。世界の先進国に先駆けて生産人口の減少と急速な高齢化が進んでいる日本がこれからどう対策をとっていくのか、世界の目が見つめ始めているのだとか。
ドイツなんかは日本がどういう対策をとるのか研究するチームを日本に送っているそうで。。。
えー そうなんですかー^^;; 

人口減少と高齢化が進む都市の日本代表みたいなのが長崎市なんだそうで。。。
これまたえー そうなんですかー^^;; っと言いたいところですが、これは最近実感していました。
長崎の夜を彩る夜景なんですけどね、大都市の夜景と違って長崎の夜景は山に貼り付くように建ち並ぶ民家の灯りで出来ているのです。だからまるでホタルの光りのようにとても柔らかな光で出来た夜景が長崎の特徴なんですよね。
ところが最近その夜景の灯りがなんとなく減ってきたなーって思っていました。山の上まで連なる民家のほとんどが道の狭い車の入らない場所に建っていて、しかもお年寄りのひとり暮らしが増えてしまっているんですね。その後いろいろな理由で空き家になって灯りが消えてきているのです。
長崎の山を照らす夜景が街灯だけになっちゃったらこれは長崎の大名物を一個失うことになります。これは一大事!

いやいや、これは長崎だけの問題じゃあ無いんですよね。ジャパンシンドローム(日本症候群)と名付けられたからには治療法を考えなくてはなりません。先ずは自給自足率を上げることなんでしょうけどね。外からの点滴を外して自分の力で食べなければ・・・・生きることは先ず食べることですもんね。

最近地元の野菜を売っている道の駅的お店が街中にも進出してきています。わたしも利用していますが、こういうのってもしかして良い傾向なのかもしれませんね。国産野菜をどんどん食べることにしましょう~とりあえず出来ることを~ 

2011年1月4日火曜日

2011年 スタート!


新しい年がスタートを切りましたね!
年末から三が日は息子達が帰省して来たので、私もお袋の味をせっせと提供していました。いつも通り家族4人のお正月を過ごし、体重を気にしながら息子達も職場に戻って行きました。
今回、長男も次男も結婚を匂わせていたので来年のお正月はちょっと違ってくるかもです。長男は帰り際に「来月彼女連れて来るわぁ」 っと言って帰って行ったのでいよいよ前進しそうです。
わぁ 緊張する~~~
親として息子の結婚はなんせ経験したことがないので、なんだかまったく想像もつきません。遠くに住んでいるし、昔のように親が何から何まで準備するっていうのとも違ってきているようなので・・・気楽に構えてていいのかな???
それにしても長男の結婚後の生活の予定にもビックリです。長男が今は大阪で転勤族、彼女は他県に住む8歳年上のバリバリの仕事人間。結婚後も今と変わらぬ生活で通い婚になるとか。。。。

はぁ~~ まぁいいけどぉ~~~ 孫はどうなるんだろう~~~~~