2010年12月31日金曜日

いよいよ大晦日!



さぁて 2010年も残り20時間、いよいよ暮れていきますね。行く年を振り返ってみると平々凡々な一年でしたが、そう言えばあまり大笑いをしなかったなぁ・・・
新しい年への第一目標は「大笑いする時間を持つこと」っとすることにします。不景気な世の中にもだいぶ慣れてきましたし、楽々生きる環境なんて待っていても日が暮れるだけ~ってこともわかってきました。大事なのは自力発電のエネルギーを持つことです!大笑い発電ってのをやってみようではありませんか!
実は本日次男坊が帰省して、ついつい話し込んでこの時間です^^; 次男坊に彼女が出来たことを告げられて、根掘り葉掘りしていました。ちょっと本気の様子に一抹の寂しさが一瞬よぎりましたが、なんのなんの・・・ こりゃ楽しいことになりそうです。
とりあえず2010年の大晦日は「含み笑い」で終わりそうです。 ムッフッフ

皆さんにも笑って過ごせる新年がやってきますように。 頑張っていい年にしましょうね!

2010年12月29日水曜日

母のこと・・・


転院してから母がまったく目を開けなくなっている・・・っと姉から連絡があって先日様子を見に帰省してきた。鼻からのチューブで栄養が少し入るようになったと聞いて安心していたのだけれど、予断はゆるされていなかった。
実家に着くより先に病院に寄ってみた。病室の名札の配置を見ると4人部屋の窓側のベッドが母のベッドだ。でも母の寝ている白いシーツのふくらみがとても小さく思えて驚いた。

「お母さん」と声をかけても寝息を立てて眠っている。頭を撫でても肩を揺すってもまったく起きる気配がない。「ホント お姉さんが言ってた通りだ・・・」 仕方がないので持ってきた爪切りで母の爪を切った。痩せてシワシワになった母の手だが驚くほど柔らかい。この手で人の何倍も働いてきた母なのに、何も出来なくなってもう何年になるのだろう。柔らかい母の手が病んでからの年月が長くなってきたことを語っていた。

背中を少しマッサージしようと思い、母の脇腹から私の手を背中に回した・・・すると 「フフフ・・」っと母が鼻で笑ったのだ。「えっ?」と思い背中をこすると母は半分寝たままのように目をショボショボさせた。「あれっ?おきた?」っと母の顔を覗き込むと、半開きの目のまま私を見つめてボソボソ盛んに話しかけてくる。しかし痰が絡んでまったく聞き取れない・・・・

思い起こせば数年前、ショートステイの施設から急遽精神科の病院に強制入院になり、その後入った施設や今回の外科の入院、転院 と・・・母はおぼつかない脳で必死に順応してきたのだろう。
以前は面会に行くと「ここは何処ですか?」っといつも聞いていた。きっと不安感でいっぱいだっただろう。


今はもう食べ物もとらずに、足には人工大腿骨、尿はチューブで採取され、痩せこけた身体なのに、それでも母は「フフフ・・」と笑ったのだ。

お母さんはホントにすごいよ・・・
こんな瞬間もあるのだから、もう少し生きてていいよね お母さん

2010年12月21日火曜日

断捨離するぞ!


部屋を片付けよう片付けよう と思っている間に寒波到来です。動き始めれば身体が温まるとは思うのですが、その最初の第一歩がなかなかなぁ~(^^ゞポリポリ
スーパーにはあれよあれよと言ううちにお正月用品が並び始めて、「ちょっと気が早いんじゃないの?」 なんてたかをくくってたら今年も残り10日です・・・・汗
毎年縮小気味にでもやっている大掃除ですが、やはりがらくたを処分しないとすっきり綺麗にはなりませんね。

そんな折り、やましたひでこさんという人が書いた「断捨離(だんしゃり)」という本を知って読んでみようと図書館の検索にかけたらなんと予約待ちが140人・・・ なんだ みんな知ってる本なんですねぇ。
断捨離とは ヨガの教えの「断行・捨行・離行(だんぎょう しゃぎょう りぎょう)」を短縮した言葉のようで、欲望を絶ち、余分なものを捨て去り、執着から離れるという行法哲学なのだそうです。

確かに思い出を溜め込んでいたら前に進むのには邪魔になるのかもしれません。どんどん前に進んでいる人は過去の物事に執着せず気持ちも引きずってませんものね。

断捨離して部屋をスッキリすれば、頭の中も少しスッキリできるかもしれません。
死に支度? とんでもない! きっと新たな出発適合年齢なんです! わたし

2010年12月8日水曜日

イマジン


ジョンレノンが凶弾に倒れてきょうで30年になるそうです。30年・・・びっくりです。私の脳裏に焼き付いているジョンレノンの存在は色あせず新鮮なままです。
あの9.11の同時多発テロ事件のあと ジョンの「イマジン」をよく耳にするようになったからでしょうか。クリスマスの今の時期にも世界平和を盛りこんだジョンの「ハッピークリスマス」がよく流れるようになりましたしね。両方ともとってもいい歌ですよね。歌ってるとホントにみんながそんなふうに思えば戦争なんて起きないのになー って思います。 
でも ジョンが死んで30年、紛争や戦争、全然減ってないですね。
平和を好まない人なんてめったに居ないと思うのに、平和を戦争で勝ち取ろうとするんだから話になりません。やっぱ人間も動物だから、本能的な部分で戦う方向に向いてしまうのかなぁ。
野生の世界を見ても肉食のライオン達だけじゃなくて、草食のシカなんかも喧嘩してますもんね。
今の草食系男子だっていざとなったらやっぱり戦争に走っちゃうのかなぁ。縄張り争いはオスの本能でどうしようも無いのかなぁ。

写真はオノヨウコさんの詩集「グレープフルーツジュース」で ヨウコさんが1964年に限定版で出された「グレープフルーツ」を再編されたものです。この詩集の中でヨウコさんは「イマジン」という言葉を何度も使っていて、ジョンはこの詩に触発されてあの歌を作ったのだそうです。
「壁を壊さなくてもいい。窓を開ければいいのよ。」とヨウコさんが何かの番組でおっしゃっていました。もしかしたら平和を祈る気持ちもヨーコさんからジョンに伝わったものなのかもしれませんね。そう考えると世界平和のキーは女性!母性!なのかもしれません。

ジョンとヨーコという二つのピュアな魂が生み出した名曲、加藤登紀子さんの訳と共に聴いてみましょうか・・・・


天国なんかどこにもないんだ。 そう思うことは簡単なこと

地面の下に地獄なんかなくて 頭の上には空があるだけ

世界中の人々が きょうのために生きている

国なんてどこにもないんだ。 そう思ってみることは難しいことじゃない

なにかのために殺したり 殺されたりすることもなく 宗教もないんだ

世界中の人々が 平和の中に生きている

そんなことは夢の中の出来事だと あなたは言うかもしれない

でもそう思うのは わたしひとりじゃない

いつかあなたも そう思うようになり 世界は一つになるんだ

2010年12月6日月曜日

捨てられないもの・・


長男が最初に履いていた靴です。
そのころは田舎の漁村に住んでいて周囲に知り合いもなく、長男が歩き始めるとひたすら二人で散歩して歩いていました。
海沿いの道路をずっと行った所の民家に鶏小屋があって、毎日そこまで鶏を見に行っていたことを思い出します^^
「コッコ」が 長男が最初に覚えた言葉でしたねぇ。 

2010年12月2日木曜日

命 の決断


命についての重い話題になります。

一年前に50代の義理の姉がくも膜下出血で倒れ、脳死、心停止に至るまで二週間見守りました。
人の最期がなんと無情な出来事で、残された家族は否応なくそれを受け止めて生きて行かなければならないという現実を目の当たりにして、生きるエネルギーが私の身体から抜けて行くような気がしてなかなかそこから抜け出せない状態が続いています。

心のこもった看護をする看護師だった義姉でしたが、遅い結婚をしてからは仕事を離れ、年老いた舅、姑を自宅で立派に介護し続けたのでした。
舅が亡くなった後も姑の介護が続き、倒れたその日もデイサービス先まで姑を迎えに行く玄関先で倒れていたのでした。

救急車の搬送先の病院には脳外科が無く、再度搬送された病院で手術を受けた時にはもう手遅れでした。
術後のドクターの判断はすでに脳死を示唆したものでしたが、親族は諦めません。奇跡が起こるかもしれないと24時間交代でベッドサイドに付き、手のひらや足、腕をマッサージし続けました。
特に大学生の息子と社会人になったばかりの娘は、入浴に帰る以外は二週間病院に泊まり続けて奇跡を信じて母親を見守り続けました。母親の好きな音楽をイアホンで聴かせたり、娘は看護師さんが母親の身体を拭くのを手伝ったり、若い二人は母親の心臓が止まる直前まで周囲の人に感謝しながら笑顔を絶やさず重い空気の病室に爽やかな風を送り続けてくれました。
その二人の姿はまさに、義姉の生き様の答えを見ているような感じでした。

「脳死」というのは法律上では人の「死」を意味しています。しかし「死」という言葉が付いていても脳以外は生きているのです。血のかよった身体はもちろん温かいですし、刺激を与えると手のひらを握るそぶりをしたり足を伸ばすそぶりをしたり、条件反射ではあっても動いてくれるのです。
もしも臓器移植をするケースであれば、その心臓を止める決断を家族がくださなければならないことを意味するのです。

最近思うのですが、医学技術の進歩は時として本人または家族にとても辛い決断を強いることがあるような気がしています。

母のことですが・・・
かなり進んだアルツハイマーの私の母は股関節骨折の手術の後、すべてを拒否する状態になってしまっています。口を堅く結んだまま食べ物もまったく受け入れないのです。
今の後期高齢者医療制度の関係で輸液(点滴)による栄養補給は長期に出来ないらしく、胃瘻という方法を提示されています。
胃瘻とはお腹の外から胃の中にまで穴を開けて、そこから流動食を流し入れて命を保つ一種の延命治療です。

胃瘻にすれば母の命はまだしばらくは保たれるでしょう。しかし、意志の疎通も出来ない寝たきり状態の日々を母に与えることになるのは間違いないでしょう。

どうするか・・・・母の命の決断を私たち姉妹がしなければならないなんて、せんない事です。。。。