2011年3月25日金曜日

復興へ




被災地の壊滅した町を前にしてぼう然とたたずむ人の写真を見て、戦後の長崎の丁度同じような情景の写真を思い出しました。今回の震災の壊滅した町の様子はまさに空爆やあるいは原子爆弾で焼け野原になった町の様子と一緒です。被災地の人々の様子を見ても、きっと戦後の日本もこういう状態から復興してきたのだろうと想像してしまいます。

私は今長崎に住んでいるので実際に原爆の被災を経験された方が身近にいらっしゃいますが、辛い辛い体験をあえて聞くことはできません。被爆者の方にとって65年経った今でも思い出すにはあまりにもむごい情景なのです。そんな中一昨年の原爆祈念日に、原爆投下当時に爆心地の山里小学校で先生をされていた方からお話を聞く機会がありました。山里小学校では当時の在籍児童1581人のうち約1300人が原爆で死亡しました。当日出勤していた職員も32名中、校長を含む28名も亡くなられています。生存した生徒を学校に集め授業を再開したのが原爆投下から丁度3ヶ月目の11月9日だったそうです。そしてその年に運動会も開催したのだそうです。着る物も無く、ボロをまとって元気に走る子供達の姿が鮮明に思い出されると話してくださいました。そして原爆投下からわずか二年後には長崎の祭り「おくんち」も開かれ、人々は志気を振り起こし復興して行ったのです。

思えば日本は火山列島の上にある国です。太古の昔から様々な大災害にみまわれて来たはずです。日本人のねばり強さ、謙虚さ、被災時の冷静さは きっとそのような境遇を乗り越えて来たからこそ身に付いた恩恵なのかもしれません。

日本はきっと大丈夫!
みんな日本を愛してますから。

さぁ 元気を出さなくては!

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