2011年3月30日水曜日


咲けよ 咲け サクラよ 咲けよ

枝いっぱいに 気高く咲けよ

流された 何千何万の尊い命を

その花びらに 託して咲けよ

今年の桜は弔い桜

桃色の曼荼羅を 日本中に敷いて咲け

2011年3月25日金曜日

復興へ




被災地の壊滅した町を前にしてぼう然とたたずむ人の写真を見て、戦後の長崎の丁度同じような情景の写真を思い出しました。今回の震災の壊滅した町の様子はまさに空爆やあるいは原子爆弾で焼け野原になった町の様子と一緒です。被災地の人々の様子を見ても、きっと戦後の日本もこういう状態から復興してきたのだろうと想像してしまいます。

私は今長崎に住んでいるので実際に原爆の被災を経験された方が身近にいらっしゃいますが、辛い辛い体験をあえて聞くことはできません。被爆者の方にとって65年経った今でも思い出すにはあまりにもむごい情景なのです。そんな中一昨年の原爆祈念日に、原爆投下当時に爆心地の山里小学校で先生をされていた方からお話を聞く機会がありました。山里小学校では当時の在籍児童1581人のうち約1300人が原爆で死亡しました。当日出勤していた職員も32名中、校長を含む28名も亡くなられています。生存した生徒を学校に集め授業を再開したのが原爆投下から丁度3ヶ月目の11月9日だったそうです。そしてその年に運動会も開催したのだそうです。着る物も無く、ボロをまとって元気に走る子供達の姿が鮮明に思い出されると話してくださいました。そして原爆投下からわずか二年後には長崎の祭り「おくんち」も開かれ、人々は志気を振り起こし復興して行ったのです。

思えば日本は火山列島の上にある国です。太古の昔から様々な大災害にみまわれて来たはずです。日本人のねばり強さ、謙虚さ、被災時の冷静さは きっとそのような境遇を乗り越えて来たからこそ身に付いた恩恵なのかもしれません。

日本はきっと大丈夫!
みんな日本を愛してますから。

さぁ 元気を出さなくては!

2011年3月20日日曜日

支援物資空輸開始

久しぶりの本格的な雨です。庭に咲き始めたアネモネが強い雨に打たれていたので切り取って花瓶に挿しました。
自然というのは脅威でもあり慰みでもあり、やはり人間には決して征服できない尊大な相手なのですね。自然の猛威に打ちのめされたあと、きっと小さな野の花に慰められたりするのですね。人間の小ささを痛感させられますが、それでもやはり自然に生きる蟻たちのように少しずつ地道に回復していく力を持っているのも人間だと思います。
今日よりも明日、明日よりもあさって・・・・少しずつ少しずつ良くなればきっと笑顔になれる瞬間もあるはずですよね。

長崎県と市でも支援物資を集める動きが始まりました。募集される物資は決まっていて、お米、水、介護用レトルト食品、毛布、粉ミルク、大人用子供用紙おむつ、生理用品となっています。
我が家もさっそくお米20キロと介護用紙おむつと尿取りパットを購入してお届けしてきました。
何かしたいけれど何をして良いかわからない日々だったので、ようやく一つ動くことが出来て嬉しかったです。
雨の中大勢の職員さんに迎えられて、ほんの少しの支援物資で恥ずかしかったのですが・・・お陰様で第一歩を踏み出せました。

原発の現場で奮闘されている名も知られてない人々や被災者でありながら避難所のお世話に奮闘されている人々、本当に皆さん命を賭けて動いてらっしゃいます。一人一人の小さな力が沢山集まればきっと大きな力になって前進できると確信しています。

思いやりや協力する気持ち、リーダーになって引っ張る力とそれに従って動く力、知恵を振り絞る人とそれを実践できる人、それは全部人間がもともと持っている自然の力だと思います。便利さ豊かさの中で忘れていた人間としての力を今こそ発揮して一歩ずつ良い方向にむかって欲しいと思います。

2011年3月19日土曜日

被災地に鳴り響くサイレンの音

あの大きな地震から一週間経った金曜日の14時46分、被災地にサイレンが鳴り響き、津波で家族を失った被災者の人々がサイレンに合わせて海に向かって頭を垂れていらっしゃる様子がテレビで写し出されていました。
そのご様子を見ていると、まるでサイレンの音が夢から現実に引き戻す無情の響きのように聞こえて、見ている私もとても辛かった。

被災者の皆さんはこの一週間を、きっと夢の中の世界のような感覚で過ごされたのではないでしょうか。それが一週間経ち、同じ時間に鳴り響いたこのサイレンで初めて現実の出来事として感じてしまったのではないでしょうか。

きょうのサイレンの音は今のこの環境の中の被災者の人々にはあまりにも辛い響きだったように思えて仕方ありません。

被災者同士の支え合いはもう限界でしょう。健康で力強く寄り添う支えが急務の時期に入って来たと痛感します。


2011年3月17日木曜日

七日目の寒い夜・・・


あれだけの大震災が起こって一週間が経ちました。被害のあまりの広域さ、甚大さに、現代の日本の力をしてもまったく手が着いていないと言えるほどの状態が継続して胸が痛みます。被災地では今夜も零下の夜を迎えています。

今の私には祈ることしか出来ません。罹災された方が早く暖かい環境に落ち着けますように。早く充分な食料と物資が届きますように。そして放射能の汚染がこれ以上広がりませんように。

狭い日本のはずなのに、長崎は青空の下満開の白木蓮が風に揺れています。被災地にもどうか早く春が来てほしい・・・